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神戸地方裁判所 昭和53年(ワ)529号 判決 1985年8月08日

原告

西井てるゑ

右訴訟代理人

藤原精吾

深草徹

被告

兵庫県競馬組合

右代表者管理者

三木眞一

右訴訟代理人

大白勝

松岡清人

主文

1  被告は原告に対し、金二四〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和五三年六月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

4  この判決は、1項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金四七二万円及び内金四四二万円に対する昭和五三年六月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 承継前被告兵庫県(以下「県」という。)、同尼崎市及び同姫路市(以下この二市を「両市」という。)は、いずれも地方競馬を開催していた。

(二) 県及び両市は、地方自治法二八四条一項に基づき、各競馬事務を共同処理するため、昭和五五年一〇月一日一部事務組合(特別地方公共団体)である被告を設立した。その結果、被告は包括的に県と両市の各競馬事務及びこれに関する債権債務を承継した。

(三) 原告は、同三七年一二月二五日以降園田競馬場において、県及び尼崎市にそれぞれの開催期間ごとに交互に雇用され、同四四年八月三〇日からは同競馬場及び姫路競馬場において、県及び両市にそれぞれの開催期間ごとに順次雇用され、主として支払補佐(旧称、払戻帳場主任)の業務に従事してきたものである。

2  原告の業務内容等

原告が従事してきた支払補佐の業務内容は、おおむね次のとおりである。

(一) 各レースごとの作業は、支払金予告を受けて早見表により金額の準備をし、払戻金確定合図と同時に払戻しを開始する。窓口係が受けた的中券の払戻該当額を算定し、現金を数え窓口係の所定のカルトンに入れる。窓口係から受取った的中券を一〇枚ずつに重ね、一〇〇枚で結束する。この作業を窓口締切りまで反復する。窓口締切り後、次のレースの支払金予告までに残金を数えて収支を明確にし、支払帳場収支表に記入し、支払済投票券をそえて調査係へ送付し、資金係から追加資金を受け、これを数えて払戻準備をする。

以上の作業を一日に一〇レース繰返し行う。

(二) 午前一〇時三〇分出勤後、第一レース払戻開始時刻(同一一時五分)までは掃除と資金準備を行い、同一〇時五五分から同一一時五分までの間に昼食をとることになつている。

最終レース締切時刻(午後四時三〇分)から退勤時刻(同五時一五分)までの間に、一日中の収支を計算し残金を数えて収支伝票に記入し、支払帳場収支表の合計を記入して残金とともに払戻班長に納入し、最後に班長に納入された各帳場の残金を全部合計する。

午前一〇時三〇分から午後五時一五分までの六時間四五分の労働時間中、休憩時間は設けられていない。

(三) 支払補佐は窓口係二人を担当しており、右の各作業を休む間もなく継続しなければならず、手指を常に動かし、窓口係との現金及び的中券の受渡しは席の関係上、手を伸し身体を前へ倒さなければならず、手指、腕、肩及び腰の疲労は著しい。また、現金の取扱い、的中券の点検及び残高の照合は、精神的に極度に緊張した状態で行わなければならないので、その疲労度は著しい。

特に盆、正月の開催期間中は、通常よりも取扱量が激増し、肉体的、精神的疲労はとみに激しくなる。

さらに同五一年一月から、園田競馬場においては、投票券発売事務の機械化(以下これを単に「機械化」という。)により従前よりも取扱量が増加し、払戻時間も延長され、投票券の紙質が硬くなつて数えるのに力が入り肩がこるようになった。

3  職業病の発生

原告は、同五一年一月の正月開催期間中に右肩のこりを自覚するようになり、同年四月ころにはこれに加えて腕がだるくなり、同年五、六月ころには手のしびれを感じて非常に疲れやすくなり、ついに同年の盆開催期間中には、手がこわばり物を握ることもできないような状態となつて、鍼治療を受け始めた。同五二年一月の正月開催期間中には、右拇指の力が抜けて硬貨がつかめなくなり、左手首にも激痛が走つて、両腕はだるく、脱力感を覚えるようになつた。そして、同月二一日兵庫医科大学病院において頸肩腕障害、両手腱鞘炎と診断された。

この原告の疾病は、原告の前記業務に基因するものである。

なお、原告は右疾病について、同年一二月五日尼崎労働基準監督署長より業務上疾病の認定を受けた。

4  県及び両市の責任

(一) 県及び両市は、地方競馬の開催者として、開催のつど労働契約を締結し、原告を従業員として雇用していた。そして県及び両市は、原告をその業務に従事させるに当つて後記(三)の安全配慮義務を怠り、その結果原告を前記疾病に罹患させたものであるから、民法四一五条により損害賠償責任を負う。

すなわち、県及び両市と原告の労働契約は各別に結ばれたものであつても、安全配慮義務の不履行により発生した疾病の結果は一個であり、かつその結果は県及び両市の債務不履行行為が客観的に共同して行われたために生じたものであるから、民法七一九条一項前段の類推適用により、各自原告の損害全部について賠償責任を負うべきである。

(二) 仮に債務不履行に民法七一九条の類推適用ができないとしても、県及び両市は使用者として、原告が就労により身体、健康に危害を被ることのないよう万全の措置を講ずるべき注意義務(後記(三)と同旨)を負つているところ、これを怠り原告に前記疾病を発症させたものであるから、民法七〇九条、七一九条一項前後により各自連帯して損害賠償責任を負う。

(三) 安全配慮義務の具体的内容

頸肩腕障害、腱鞘炎は首や肩に疲労が蓄積されて発症するのであるから、何よりもこの疲労の蓄積を防止するための対策がとられなければならないし、また適切な検診を定期的に実施し、発症者に早期治療をさせなければならない。

(1) 休憩時間

支払補佐の拘束時間は一労働日当り六時間四五分であるが、この間わずかな手持ち時間を除き休憩時間は全く与えられなかつた。

作業の途切れる時間が多少あつても、それは帳場を離れて自由に過ごせる休憩時間ではなく、単なる手待ち時間であるから、精神的緊張は持続する。さらに盆、正月開催などの多忙なとき、同着払(出走馬がゴールインで同着した場合、組番が二本立てとなりその双方の支払をすること)や、返還金払(発売開始後に出走不能となつた馬の投票券を払戻すこと)が出た日などには、手待ち時間さえないことがある。

(2) 人員配置等

支払補佐の業務の繁忙度には各種の要因により大きな波がある。したがつて、使用者はできるだけ業務の負担を均等にするため、帳場の配置替えを適宜行い、また特に繁忙な時のために応援要員を配置するなど適切な人員配置対策を実施し、過度な業務の負担が加わらないように配慮する義務がある。

ところが、同五一年一月以前は、帳場の配置替えは長期間行われず、応援要員は全く配置されなかつた。また、同四一年一二月末払戻帳場の人員編成を逆に四人から三人に削減し、支払補佐の業務量を多くして精神的にもより一層の緊張を強いた。

(3) 職場環境

使用者は職場環境や作業姿勢には特に配慮し、できるだけ身体への負担を軽減するよう努める義務があるのに、同四一年一二月末以来、従前の四人用の机を三人で使用させ、支払補佐には足元に桟があり作業姿勢に無理を強いるような場所に座らせるようにしたばかりか、立つて作業する際にも姿勢により負担がかかるようにした。また、椅子は高さの調節もできず背もたれもないもので、身体の緊張の持続を強いられ、窓口からの寒風に対しても何らの対策は講じられなかつた。さらに同五一年一月の機械化以後、帳場の床上げに伴い、払戻し中には支払補佐に座るように指示し、より一層無理な作業姿勢を強いた。

(4) 機械化

同五一年一月の機械化により投票券が小さく、かつ厚くなつたため、数える際に指先に従前より力を入れなければならず、腕も宙に浮かせなければならなくなつて、長時間続けると肩、腕、手が痛くなるようになつた。また、通し番号がなくなつたため、チェックするのに一枚一枚確認しなければならなくなつた。さらに機械化に伴い、売得金が増え、払戻額が増加した。

これらに対する十分な対策なしに機械化を実施したため、支払補佐の業務により一層の緊張と身体的負担を増大させる結果となつた。

(5) 検診等

同四八年四月に日本産業衛生学会(以下「産衛学会」という。)において、頸肩腕障害等の検査項目が発表されていたのに、県及び両市は一般健康診断を行うのみで、同障害等の早期発見を目的とした検診は同五二年三月まで実施しなかつた。

5  損害

(一) 慰謝料 三五〇万円

原告の症状は産衛学会の報告によると重症期(症度区分V度)に達していたため、回復ははかばかしくなく、同五二年八月ころには徐々に不自由ながら日常生活ができる程度に回復したが、現在でもガスの元栓を閉めることができず、洗濯物を洗濯ばさみではさむのが困難な状態等が続いている。これらの肉体的精神的苦痛に対する慰謝料は、三五〇万円を下らない。

(二) 逸失利益 七二万円

原告は同五二年三月一一日から休業のやむなきに至り、同年の夏期手当及び年末手当として支給さるべき七二万円(一万円未満切捨)の支給を受けることができなかつた。

(三) 弁護士費用 五〇万円

原告は本訴提起に当り、原告訴訟代理人らに着手金として二〇万円を支払い、報酬として少なくとも三〇万円を支払うことを約した。

6  よつて、原告は県及び両市の承継人である被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、前項の損害合計四七二万円及び内金四四二万円に対する本件訴状送達の日の翌日である同五三年六月四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2について

(一)は認める。

(二)は、以下の記載と異なる部分は争い、その余は認める。

(イ) 第一レース払戻開始時刻は、冬期(一〇月から翌年五月まで、以下同じ。)が午前一一時五分、夏期(六月から九月まで、以下同じ。)は同一一時三五分である。

(ロ) 昼食時間は冬期で約二〇分、夏期で約五〇分である。

(ハ) 最終レース締切時刻は、夏期で午後四時五〇分ころ、冬期で同四時二〇分ころである。

(ニ) 退勤時刻は冬期が午後五時一五分、夏期が同五時四五分である。

(ホ) 最後に班長へ納入された各帳場の残金を合計する作業に従事するのは、一日置きである。

(ト) 休憩時間の合計は、冬期で約一二〇分、夏期で約一六〇分となつている。

(三)のうち、支払補佐が窓口係二人を担当していること、同五一年一月から園田競馬場で機械化が実施されたこと、それに伴い投票券の用紙が変つたことは認めるが、その余は争う。

3  請求原因3のうち、原告の疾病が業務に起因するとの点は否認し、その余は知らない。

4  同4について

(一)のうち、県及び両市が地方競馬の開催者として、開催のつど労働契約を締結し原告を従業員として雇用してきたことは認めるが、その余は否認する。

(二)及び(三)は争う。

5  同5は争う。

三  被告の主張

1  原告主張の症状は、専ら加令現象である変形性頸椎症によるものであつて、原告の業務との間には全く因果関係がない。

2  仮に原告に頸肩腕障害、腱鞘炎の疾病が認められるとしても、それと業務との間に因果関係はない。

(一) 業務内容、作業態様について

支払補佐の払戻作業内容は、窓口係が受取つた的中票数を開き、早見表により払戻金を算出し、自分の前に整理してある一万円又は一〇〇〇円札束等から相当枚数を取上げて枚数を読み、当該金額を窓口係のカルトンに入れることである(一〇〇円未満の金額は窓口で処理する。)。

その後の付随作業も含めて、支払補佐の動作は算出する(見る、考える)、相当枚数を取る、枚数を数える、カルトンに入れる、一〇枚ごとにした払戻済投票券を五〇枚束にする(まとめる)、右の束数及び端数枚数を数える、ということになり、これらは単一の動作又は姿勢のみを継続する作業ではないし、また身体等の静止的拘束も受けない作業である。

また、作業は各個人の能力に応じた速度で対応できるものであつて、機械的に迅速さを強制されるものではない。

(二) 作業量について

従事日数は年間最大一七四日で、一年の半分以上が休日と同様である。一開催においてはほぼ連続して六日競走が行われるが、各開催の間には適度の間隔がある。

一労働日の拘束時間は他の職種の労働者に比して短いうえ実作業時間は約四時間半であり、しかもそのうち約一時間半は暇な時間である。

開催日一日について見ると、初めの方のレースは閑散で、最終レースに近づくにつれて徐々に入場人員が増え、通常第八ないし第一〇レースの間において業務量がピークとなるが、その辺の量で普通の業務量となる。

一開催の期間について見ると、入場者ないし売得金が他の日に比して若干多い日は、一開催中一日程度である。

作業量は帳場によつて多少の繁閑があるので、その平均化を配慮してほぼ二〇開催で全面的へ配置替えを行つてきた。機械化以後は一開催ごとに帳場の配置替えをし、四開催ごとに従事投票所を替え、さらに一二開催ごとに帳場のメンバーを入れ替えている。

(三) 職場環境について

作業環境については特に問題とすべき点はなく、また座つて作業するよう指示したこともない。

以上のように原告の作業態様は、労働基準局長通達(昭和五〇年基発五九号)にいう上肢の動的又は静的筋労作を主とする業務に該当せず、業務が過重であつたとも認められず、作業環境にも劣悪な点はなかつたのであるから、原告の疾病と業務との間には相当因果関係はない。

3  安全配慮義務の違反はない。

支払補佐の業務は、頸肩腕症候群の発症が予想されるような種類のものではなく、またその発症を招くような過重なものではない。現に公営競技場の払戻関係従業員で、原告のような症状を訴えたのは原告が初めてであり、しかもその申告は同五二年三月に至つて初めてされたもので、それ以前において他にその発症を予見できる特段の事情もなかつたのであるから、県及び両市にその発症を予防するために特別の検診をしたり、その他特別の措置を講じる義務はなかつた。

したがつて、県及び両市には債務不履行又は不法行為による責任はない。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。

二原告の作業内容等

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、<証拠>中この認定に反する部分は信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  支払補佐の作業内容

(一)  当初資金準備

第一レース開始前に班長から資金(通常二〇〇万円)を受入れ、紙幣は一万円札と一〇〇〇円札に一〇枚ずつ組分けて机の引出しに入れ、硬貨はつまんで硬貨升に詰める。

(二)  支払作業

レース開始後、一着馬のゴールインと同時に支払準備の号令がかかると、支払補佐は右のとおり準備した札束を引出しから出して机上に置く。その後的中組番と払戻金(配当金)額の予告を受けると、窓口係二名とともにそれぞれ手元の早見表を開き、場合によつては金種交換をする。払戻金確定と支払開始の合図があると、窓口係が客から的中券を受取つて、年度、回、日、レース、組番、主催者を確認したうえ、その枚数を数え、的中票数(二〇〇円券は二票、一〇〇〇円券は一〇票)を呼示する。支払補佐はその票数その他に誤りがないかどうかを窓口係の手元を見ながら瞬間的に確認し、早見表(ただし、一〇枚分の金額しか記載がないので、それ以上の枚数分は暗算等)によつて払戻金額を算出する。そしてその金額を金種別に数え、一〇〇円硬貨をつかんで、これらをその窓口係の所定のカルトンへ前屈みの姿勢で腕を伸ばして入れる。窓口係はそれに必要があれば五〇円と一〇円の各硬貨を加え、金額を確認して客に支払う。支払補佐は、二名の窓口係について交互に迅速にその作業を繰返す。

右の作業については、窓口係が誤券について支払をしたり、的中票数を誤つて呼示しそれに基づいて支払われたりした場合は、支払補佐が帳場の責任者として、窓口係とともに損害金を支払うか、場合によつては減給処分を受けるので、正確を期するのに神経を使う。

また、支払を待つ客を怒らせないためにも迅速かつ正確に作業を続ける必要がある。

支払済投票券は、支払補佐が支払中の間を見て一〇枚ずつに重ね、五〇枚ずつ背中合わせに結束する。

(三)  窓口締切り後

支払補佐は残金を確認し、支払済投票券の枚数により支払金額を算出して、残金と照合する。これを支払収支表に記入し、支払済投票券にそえて調査係に持参する。

(四)  次レースの資金準備

支払補佐は、次レースの払戻しに必要な資金を受入れるために、伝票に必要金額を記入して班長より資金の交付を受け、当初資金準備と同じ手順で準備する。

以上の作業を一日に一〇レース繰返して行う。ただし、以上は当回払(そのレースの払戻業務をすること)の典型的な例であるが、支払帳場にはそのほか前回、当回払(当回払に加えて当日の全レースの払戻業務をすること)や、前日、前期払(前日以前一年間の的中券の払戻業務をすること)の帳場がある。

(五)  返戻

最終レースの支払窓口の締切後、支払補佐は帳場資金の残金を収入伝票に金種別に記入し、班長に返戻する。

各帳場の返戻金は所定場所に集められ、各帳場の支払補佐の半数(半数が一日置き)が一括して取りまとめる作業をする。まず金種別記入金額と現金をチェックし、合計金額を確認する。そして現金を金種別にまとめ、一〇〇円硬貨は一〇万円ごとに小袋に入れ。それをさらに四〇万円ごとに大袋に入れる。五〇円硬貨は五万円ごとに、一〇円硬貨は一万円ごとに小袋に入れる。紙幣は一〇〇枚ごとに結束する。

以上に述べた支払補佐の作業内容は、正確性、迅速性が要求され、誤券防止、金額の計算、紙幣勘定等において精神的な緊張を伴い、総体的に見て作業密度の高い業務である。

2  支払補佐の作業量

昭和五一年当時の支払関係従事員の出勤時刻は、夏期が午前一一時、冬期が同一〇時三〇分、退勤時刻は、夏期が午後五時四五分、冬期が同五時一五分である。

出勤から退勤までの間は、定められた休憩時間はなく、作業の途切れる時間はあつても、帳場を離れて自由に過ごせるものではなく、単なる手待ち時間にすぎなかつた。しかも、盆、正月開催などの多忙なとき、あるいは同着払、返還金払の出た日には、手待ち時間さえなくなることが多かつた。

地方競馬は、一年のうち、園田競馬場においては県営で一六開催、尼崎市営で四開催の合計二〇回開催され、姫路競馬場においては県営で四開催、姫路市営で五開催の合計九回開催される。

そして一開催につき六日競走が行われるので、両競馬場を合わせて業務日数は年間一七四日である。

同五一年当時の支払(払戻)帳場数は五一であり、一帳場は窓口係二人、支払補佐一人で構成されている。

各帳場の業務量は、従事投票所の別により、同一投票所でも各帳場の位置等により、また同一帳場でも時季により、それぞれ繁閑の差がある。ちなみに、原告が同年七月二九日以降従事した園田競馬場第七投票所においては、同年八月一二日から同月一七日までに支払つた一帳場一日平均の支払額は二〇五一万円余であるのに対し、原告が同年一一月一日以降徒事した同第三投票所においては、同月二一日から同月二八日(ただし、二五日は除く。)に支払つた一帳場一日平均の支払額は五三二万円余である。

また、一般的には開催日一日のうち、当初のレースは入場者も少なく閑散であり、最終レースに近づくにつれて繁忙度が増してくる。

3  作業環境

同年四一年一二月末以来、従前の四人用(二人ずつ向い合せに座る。)の机を三人で使用させられた。すなわち、窓口係は従前どおり一人ずつ向い合わせに座り、支払補佐は従前の机の側面に座るようになつたが、足元に桟があるため作業姿勢に無理が生じ、椅子も高さの調節ができず背もたれのない丸椅子で、身体を休めることができなかつた。

また、冬に窓口から吹き込む寒風に対して何らの対策も講じられず、ことに前記第七投票所は作業場所が極端に狭く、隣接帳場の声音も加わって窓口係の票数の呼示も聞きとりにくく、神経が余計に疲労した。

さらに同五一年一月の機械化以後は、支払補佐に座つて作業をするように指示が出され、より一層負担のかかる姿勢をとらざるをえなかつた。

4  機械化

機械化に伴い投票券が小さくなり、用紙の紙質が厚くなつたため、これを数える際に指先に従前より負担がかかり、さらに腕を宙に浮かさなければならなくなつた。また、通し番号がなくなつたので、投票券のチェックに神経をより使うようになつた。

さらに、機械化に伴い売得金が増え、払戻金額も増加した。

三原告の発症

<証拠>を総合すること、次の事実を認めることができ、<証拠>中この認定に反する部分は信用することができず、他にこの認定を動かすに足りる証拠はない。

1  頸肩腕症候群について

頸肩腕症候群とは、後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指にこり、しびれ、痛み等の不快感を覚え、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛、緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全等の症状を伴うことのある病症群を指し、その発生の機序等は不明であり、治療方法等にも定説はない。

昭和三〇年以降電算機をはじめ各種機械の導入に伴い、これらの業務従事者に右の症状を訴える者が増加し、同三三年ころから頸肩腕症候群の診断名が使用され始めた。当初はタイピスト、キーパンチャー等の特定の職業に多く見られたが、最近では保母、看護婦、美容師等にも発症が増え、臨床的には主婦と一般事務員が圧倒的に多いとされるに至つている。

産衛学会では、同四八年四月、従前頸肩腕症候群といわれたもののうち、業務上による障害、すなわち上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により神経、筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害を、頸肩腕障害と定義づけ、その病像を不確定な自覚症状のみの時期(Ⅰ度)、筋肉の緊張や圧痛等の他覚的所見が認められる時期(Ⅱ度)、痛み等の症状が持続的で強くなり知覚や末梢循環機能の低下が表われてくる時期(Ⅲ度)、全身症状が現われる時期(Ⅳ度)、日常生活がまともに送れなくなる時期(Ⅴ度)に分類した。

この頸肩腕障害は、手を反復して使う作業、肘関節を九〇度以上伸展した状態で保持する作業、正確・迅速を要求される作業、緊張状態が持続する作業及び作業密度が高いときとそうでないときのむらがある仕事に多く発症するものとされている。

なお、労働省基準局長の同五〇年二月五日付通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく症病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)は、上肢の動的又は静的筋労作を主とする業務に相当期間継続して従事した労働者であつて、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重である場合又は業務量に大きな波がある場合において、いわゆる頸肩腕症候群の症状を呈し、それらが当該業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ当該業務の継続によりその症状が持続するか、又は増悪の傾向を示すものであるときは、業務上に基因するものと認定される旨定めている。

2  原告の発症の経過

原告は、同四一年一二月五日以降ごく短期間を除き終始支払補佐の業務に従事してきており、多忙な投票所や帳場に配置されることが多かつた。

原告は、同四九年一月ころから肩こり、手のしびれを覚え、同五〇年八月ころには身体がだるく疲れやすくなり、さらに右腕がしびれて力が入りにくくなつたため、同年一〇月二九日兵庫医科大学病院の内科で受診したところ、異常は認められず、同年一一月四日同病院整形外科へ紹介された。同科の桜井医師は、原告の第六、第七頸椎間に軽度の狭少を認め、加令による変形性頸椎症との診断のもとに姿勢を矯正し運動をすると症状は好転すると判断し、同科でその方針の治療が開始された。

しかし、その後も原告の症状は好転せず、同五一年一月ころ肩こり、両手のしびれ及び全身倦怠感が強まり、ふとんの上げ下ろしがつらくなり、同月三〇日には左手首に激痛を感じた。

そして同年七月一五日から前記第七投票所の多忙な業務に従事するうち、両手のしびれ、頸、肩、背中及び上腕の痛みが激しくなり、鍼治療を受け始めた。第七投票所から他に配置されたのちは、手首と拇指が特に痛み出し、同五二年一月には朝の体操で腕を上に挙げることができなくなり、左手首には外気に触れただけで痛むようになつた。そのころから手拭をしぼることもみかんの皮をむくこともできなくなり、同年二月には髪をといたり、服を着たり、洗顔する際手を使うことがつらくなり、同年三月には神経がいらだち、身体中に激痛が走り、ついには手を下げることもできず、服も着れず、寝起きも人の手を借りなければならず、日常生活をまともに送ることができなくなつて、同年一一日ころから休業するに至つた。

一方、原告が通院していた前記病院の稲松医師は、同五一年二月一九日原告の症状が必ずしも変形性頸椎症によつてのみは説明がつかないところから慢性リューマチの疑いを抱き、また同五二年一月二一日他の医師は原告を左ドウケルバン病と診断したが、同年五月三〇日原告を診察した畑中生稔医師は、原告の業務内容を詳細に聴取し各種の検査を経たうえ、同年六月中旬ころ原告を頸肩腕障害及び腱鞘炎と確定診断した。以後原告は同医師の方針に従つて治療を継続していたところ、同年八月ころには徐々に軽快してきている。

なお、原告には以上のほか前記症状を呈するに至るような他の要因の存在を疑わせる事実はない。

そして、尼崎労働基準監督署長は同五二年一二月二五日原告の右疾病について業務上疾病の認定をした。

四業務起因性

前述二及び三により認定した原告の作業内容等、原告の発症の経過その程度、その後の治療経過等によれば、原告の支払補佐としての作業はいわゆる頸肩腕症候群に罹患する蓋然性の高いものであり、前記基発第五九号所定の業務に該当するものと認められるし、その症状は頸肩腕障害のそれに合致し、休業以後はその症状が徐々に回復をたどつていることが明らかであるから、これらの事実を総合すると、原告はその業務に対して頸肩腕障害に罹患したものと認めるのが相当である。

なお、<証拠>によれば、原告は休業直前の同五二年三月二日職場で実施された特別検診において、各自の記入すべき調査表に、健康であり仕事の忙しさは適当であるなどと記載していることが認められるが、<証拠>によれば、それは原告が職場で不利な扱いを受けることを恐れる余り真実を記載しなかつたためであることが認められるから、同<証拠>は右認定の妨げにはならない。

五安全配慮義務違反

頸肩腕障害は前記のとおり神経や筋に疲労が蓄積されて発症するものであるから、使用者は発症のおそれのある業務に従事する被用者について、疲労の蓄積を防止するための対策をとり、あるいは適切な検診を定期的に実施して発症者には早期治療を行わせる義務があることはいうまでもない。

そこで以下県及び両市の右義務違反の点について判断する。

1休憩時間

疲労の蓄積を防ぐために従事員に一定の休憩時間を与えるべきであるのに、県及び両市は前記のとおり、定められた休憩時間を一切付与していなかつた。

2人員配置等

前記認定のとおり、支払補佐の作業量は従事投票所、帳場の位置によりその繁忙度に差があるのであるから、業務量の負担の均等化を図るべく帳場の配置替えを実施し、また時季的な繁忙時には適宜応援要員の配置を考慮すべきであるのに、<証拠>によれば、県及び両市は同五一年一月以前は帳場の配置替えを長期間行わず、また実施してもごく小規模にとどまり、応援要員の配慮もなく、これらの対策が極めて不十分であつたことが認められる。

3職場環境等

支払補佐の作業の内容上、職場環境及び作業姿勢には特に配慮をして、できるだけ身体への負担を軽減すべきであるのに、県及び両市は前記認定のとおり、支払補佐が机の足元の桟のため作業姿勢に支障をきたりしており、またその椅子も適切な構造でないのに、これらの是正措置をとらず、窓口からの寒風防止の対策も講じず、さらには同五一年一月以降支払補佐に座つて作業するよう指示して、支払補佐の身体的負担を加重した。

4機械化

前記認定のとおり、機械化に伴う投票券の用紙の変化及び払戻金増加による支払補佐の精神的、肉体的負担の増加に対する対策をとるべきなのに、県及び尼崎市はこれに対して何らの措置もとらなかつた。

5検診等

<証拠>によれば、昭和四八年四月にはすでに産衛学会より頸肩腕障害の検査項目が発表されていたのであるから、県及び両市はこれらの検査を定期的に実施してその早期発見に努めるべきであつたのに、<証拠>によれば、同四八年に至つてようやく血圧、尿測定等の一般健康診断を実施したにとどまり、頸肩腕障害のための特別検査は同五二年三月まで実施されなかつたことが認められる。

以上のように県及び両市は、支払補佐には頸肩腕障害の発症する危険性があることに思いを至さず、その防止及び早期発見につき何らの配慮を示さなかつたことが明らかであり、その安全配慮義務違反がなければ、原告の発症及びその拡大が防止されたものと認めるのが相当であるから、その義務違反と原告の頸肩腕障害との間には相当因果関係がある。

したがつて、県及び両市は原告の損害を賠償する責任があるがその責任の態様が連帯又は分割のいずれにせよ、県及び両市の債務を承継した被告はその損害の全額を支払う義務があるのであるから、右責任の態様については判断する必要を認めない。

六損害

1慰謝料

前記認定の原告の発症の経緯、その症状の程度、その後の経過、原告の前記加令による変形性頸椎症が右症状の促進に幾分かの寄与をしたものと考える余地があること、原告は発症のきざしを、自覚した段階で使用者側にこれを申告して対策を相談するか、又は重症になる前に治療に専念すべきであるのに、これらの措置をとらなかつた点において原告にも自己の健康保持に十分でなかつた面が認められること、その他本件に表われた一切の事情を考慮すれば、原告に対する慰謝料は二〇〇万円をもつて相当と認める。

なお、仮に原告主張の不法行為責任が認められるとしても、これによる慰謝料は右の二〇〇万円を上回るものではなく、これと同額が相当である。

2逸失利益

原告主張の逸失利益は、本件全証拠によつてもこれを認めることができない。

3弁護士費用

本件事案の内容、審理経過その他の事情を考慮すれば、被告に負担させるべき弁護士費用は四〇万円と定めるのが相当である。

七結論

以上の次第であるから、原告の請求は、前項1、3の損害合計二四〇万円及び内金二〇〇万円(慰謝料)に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五三年六月四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中川敏男 裁判官上原健嗣 裁判官小田幸生は転任のため署名押印することができない。裁判官中川敏男)

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